2014年 02月 03日
ハリポタ作者の哲学が何処にあるのか分からない |
今日は荒ぶるぼっちですねぇ。
ハリーポッター作者のJKローリング氏の発言が気になったので、かと言ってそれをテーマに話し合う友人がいないので、もう一本投稿する事にしました。
「ハーマイオニーはハリーと結婚すべきだった」。kwskはggr。
この事を語ろうとする上で、重要な前置きが2つあります。私自身がハリポタを未読である事が大前提として1つ。それから、この発言は雑誌での対談で文字に起こされるはずだった内容を、新聞が先行して伝えたものであるという事がもう1つ。
1つ目は文句なしに、はいじゃあお前が語るなや終わり、って思ってくれたら、この行でブラウザそっ閉じでいいでしょう。
2つ目の前提条件なんですが、こういう事は本来その雑誌の全文を待ってから論評するのが正しい形である、発言の一部を切り取って、話題性を狙ったかもしれない先行記事は、事実とはニュアンスの事なる印象を与えるニュースになる可能性を持っている、という至極当然な話です。その上で、自分も話題性狙いの歪んだ記事に踊らされた状態で、アホな事を言っているかもしれない、というのを受け入れてこのエントリーを書くことにします。
あと、もう1つ、お前みたいな素人が何言ってんだってのも。
正直言って、その小説の作者がこのような発言をする意味が全く分かりません。分からないし、分かりたくもない。私はこの作品を未だ読んでいないとましたが、恐らくこれからも読む事はなくなってしまったのかなぁ、と思います。
ローリング氏は「~するべきだった」という表現を使っているようですが、じゃあ何でそうならなかったのか、そうしなかったのか、そうさせなかったのか、私はシンプルにそう思うんですが、その辺りは著者自身はどう思っているのでしょうか。芯を強く持って筆を握っているのであれば、こういった事態にはなるはずがなく、また逆にこのように振り返った時も、あれは正しかったと言いきれるはずです。私は作家という人間はそうあって欲しいと願います。
売れるからとか、ファンが望むからとか、そーゆー激しくどうでもいい安易な理由から、ディッキーのナックル並にブレてしまう人が描いたモノが果たして面白いのかどうか。仮に面白いとして、それが文学としてあるべき姿なのか。まあ理由が何処にあったのかは知りませんが。これが、10週で打ち切られるかもしれない週刊少年ジャンプの話なら、まだ納得できなくもないんですよ。ただしこのケースはそうじゃない。
あの人がしっかり哲学を持って、この物語は斯くあるべきだと考えているなら、このような惨事にはならなかったでしょう。
小説を書くときに、ライブ派の先生とプロット派の先生がいるらしいのは、伝聞で私まで届いていますが、時折この人は多分ライブ派だろうって先生が、後になって「なんで主人公たちはあんな行動したんでしょうね」なんて感じの言葉を寄せる事がありますが、あれはもうその先生はそのストーリーから完全に離れて、陳腐な言い方をすれば一読者とほぼ同じ立ち位置から発せられる言葉だから許されるものだと思います。実際の人間の生活だって場当たり的な側面は多々あって、そんな現実に近いレベルのグラウンドで描かれているお話だと受け取れば、私はそれもまた一興ある創作方法だと思います。
今回上記のケースと事情が違うのは、「距離を置いてみてそれが見えるようになった」と言っているくせに、一度距離を取ったくせに、それなのにもう一回作者、神様の位置まで戻って発言をしているようであるというポイントです。
別にそれでもいいじゃないか、という人もいると思いますし、その方が普通だと思います。私みたいにこんなに敏感に色々文句付けるような奴がおかしいだけでしょうね、冷静に距離を置いて見てみれば。
私が気に入らないのは、ハリーポッターという大人気らしいシリーズの作者が、この手の間違いをしてしまった事で、その後続にあたる、影響を受けるかもしれない若い作家先生たちが、同じように「こういう」流れをよしとしてしまわないかと、その辺の自分の影響力を著者自身はどう認識しているのか、という感じのところです。あるいは間違いを認める発言をしてしまった瞬間の方がターニングポイントなのかもしれませんが。
極論これから「売れればいい」みたいな作家が出てきたら、こいつの責任もなくはないんじゃないかって感じ。
人間、間違えを認める能力っていうのは素晴らしいものだと思うんですよ。悪い例として、あくまで誤表示と言い張る食品偽装の話とか。ただ、そうやって間違えを認める事で、そこから先にどういう影響が出るか(あるいはそこ以前に対して)を、一度噛み締めた上で認める発言をするかどうかは考慮しなければならないと思うのです。食品偽装だったら認めないでいていい事、あるいは認めていい事がどれだけあるかってのは論外ですけど、案外意地を張って認めない方が周りが良好な向きに進んでいけるケースってあると思うんですよ。たとえそれが明らかでも。今回は言わなきゃ特に突っ込んで是非を問う人もいなかったんじゃない? とか。
っつーか、ああいう夢のある世界を勝手に展開しておいて、勝手に否定して、やりたい放題過ぎるだろと。自分の書いた登場人物たちに対するリスペクトはないのかって。
仮にこの現実世界に神様がいてさ、「さすがに鎖国はやり過ぎだったわ」とか言い出したら、私はこの世界を諦めますね。
その世界の創造主として、あなたの価値観や倫理観、哲学って一体何なんですか? そう問いただしたい。それはね、続編を楽しみにするファンを前に〆切があってとか泥臭い話もあるのは重々承知しているんつもりですよ。それでもじゃないですかね。フィクション小説の作者としての在り方について、その世界を書きあげる者の責任についての考え方を、シリーズが終わってからの自分とそれの付き合い方は如何様にあるべきか、君はその発言を何のためにしたのか、そこら辺を全部スッキリするまで聞いてみたいです。反語的な、否定する言い回しではなくて、純粋に私には理解できないから知りたいという意味で。
えーっとまあ、私もおかしなことを言ってるんでしょうね多分。同じように誰か気に食わなかったら叩いてくれたらいいと思います。という文言を最後に添えるのは少し卑怯な気もしますが、まあそんなもんじゃないですかね。そんなもんって何がってそこら辺は受け取り方に任せますけど。
どんどん何かに感化される人がドミノの様に続いて、色々な人の考えが交わるのはいい事だと思いますから、出来たらどっかで叩いて欲しいものです。何言ってんのコイツみたいな。はい、Mです。
さて、天下の大先生に酷い事を言ってしまったので、非常に申し訳ない気持ちでいっぱいです。これが「文化の違い」とか「お前が未熟なだけ」とか言われて片づけられたら赤っ恥もいいところです。
でもまあそれも単なる間違いだったって事でいいんじゃないかと思います。
それを認めるかどうかは話が別ですけど。
ハリーポッター作者のJKローリング氏の発言が気になったので、かと言ってそれをテーマに話し合う友人がいないので、もう一本投稿する事にしました。
「ハーマイオニーはハリーと結婚すべきだった」。kwskはggr。
この事を語ろうとする上で、重要な前置きが2つあります。私自身がハリポタを未読である事が大前提として1つ。それから、この発言は雑誌での対談で文字に起こされるはずだった内容を、新聞が先行して伝えたものであるという事がもう1つ。
1つ目は文句なしに、はいじゃあお前が語るなや終わり、って思ってくれたら、この行でブラウザそっ閉じでいいでしょう。
2つ目の前提条件なんですが、こういう事は本来その雑誌の全文を待ってから論評するのが正しい形である、発言の一部を切り取って、話題性を狙ったかもしれない先行記事は、事実とはニュアンスの事なる印象を与えるニュースになる可能性を持っている、という至極当然な話です。その上で、自分も話題性狙いの歪んだ記事に踊らされた状態で、アホな事を言っているかもしれない、というのを受け入れてこのエントリーを書くことにします。
あと、もう1つ、お前みたいな素人が何言ってんだってのも。
正直言って、その小説の作者がこのような発言をする意味が全く分かりません。分からないし、分かりたくもない。私はこの作品を未だ読んでいないとましたが、恐らくこれからも読む事はなくなってしまったのかなぁ、と思います。
ローリング氏は「~するべきだった」という表現を使っているようですが、じゃあ何でそうならなかったのか、そうしなかったのか、そうさせなかったのか、私はシンプルにそう思うんですが、その辺りは著者自身はどう思っているのでしょうか。芯を強く持って筆を握っているのであれば、こういった事態にはなるはずがなく、また逆にこのように振り返った時も、あれは正しかったと言いきれるはずです。私は作家という人間はそうあって欲しいと願います。
売れるからとか、ファンが望むからとか、そーゆー激しくどうでもいい安易な理由から、ディッキーのナックル並にブレてしまう人が描いたモノが果たして面白いのかどうか。仮に面白いとして、それが文学としてあるべき姿なのか。まあ理由が何処にあったのかは知りませんが。これが、10週で打ち切られるかもしれない週刊少年ジャンプの話なら、まだ納得できなくもないんですよ。ただしこのケースはそうじゃない。
あの人がしっかり哲学を持って、この物語は斯くあるべきだと考えているなら、このような惨事にはならなかったでしょう。
小説を書くときに、ライブ派の先生とプロット派の先生がいるらしいのは、伝聞で私まで届いていますが、時折この人は多分ライブ派だろうって先生が、後になって「なんで主人公たちはあんな行動したんでしょうね」なんて感じの言葉を寄せる事がありますが、あれはもうその先生はそのストーリーから完全に離れて、陳腐な言い方をすれば一読者とほぼ同じ立ち位置から発せられる言葉だから許されるものだと思います。実際の人間の生活だって場当たり的な側面は多々あって、そんな現実に近いレベルのグラウンドで描かれているお話だと受け取れば、私はそれもまた一興ある創作方法だと思います。
今回上記のケースと事情が違うのは、「距離を置いてみてそれが見えるようになった」と言っているくせに、一度距離を取ったくせに、それなのにもう一回作者、神様の位置まで戻って発言をしているようであるというポイントです。
別にそれでもいいじゃないか、という人もいると思いますし、その方が普通だと思います。私みたいにこんなに敏感に色々文句付けるような奴がおかしいだけでしょうね、冷静に距離を置いて見てみれば。
私が気に入らないのは、ハリーポッターという大人気らしいシリーズの作者が、この手の間違いをしてしまった事で、その後続にあたる、影響を受けるかもしれない若い作家先生たちが、同じように「こういう」流れをよしとしてしまわないかと、その辺の自分の影響力を著者自身はどう認識しているのか、という感じのところです。あるいは間違いを認める発言をしてしまった瞬間の方がターニングポイントなのかもしれませんが。
極論これから「売れればいい」みたいな作家が出てきたら、こいつの責任もなくはないんじゃないかって感じ。
人間、間違えを認める能力っていうのは素晴らしいものだと思うんですよ。悪い例として、あくまで誤表示と言い張る食品偽装の話とか。ただ、そうやって間違えを認める事で、そこから先にどういう影響が出るか(あるいはそこ以前に対して)を、一度噛み締めた上で認める発言をするかどうかは考慮しなければならないと思うのです。食品偽装だったら認めないでいていい事、あるいは認めていい事がどれだけあるかってのは論外ですけど、案外意地を張って認めない方が周りが良好な向きに進んでいけるケースってあると思うんですよ。たとえそれが明らかでも。今回は言わなきゃ特に突っ込んで是非を問う人もいなかったんじゃない? とか。
っつーか、ああいう夢のある世界を勝手に展開しておいて、勝手に否定して、やりたい放題過ぎるだろと。自分の書いた登場人物たちに対するリスペクトはないのかって。
仮にこの現実世界に神様がいてさ、「さすがに鎖国はやり過ぎだったわ」とか言い出したら、私はこの世界を諦めますね。
その世界の創造主として、あなたの価値観や倫理観、哲学って一体何なんですか? そう問いただしたい。それはね、続編を楽しみにするファンを前に〆切があってとか泥臭い話もあるのは重々承知しているんつもりですよ。それでもじゃないですかね。フィクション小説の作者としての在り方について、その世界を書きあげる者の責任についての考え方を、シリーズが終わってからの自分とそれの付き合い方は如何様にあるべきか、君はその発言を何のためにしたのか、そこら辺を全部スッキリするまで聞いてみたいです。反語的な、否定する言い回しではなくて、純粋に私には理解できないから知りたいという意味で。
えーっとまあ、私もおかしなことを言ってるんでしょうね多分。同じように誰か気に食わなかったら叩いてくれたらいいと思います。という文言を最後に添えるのは少し卑怯な気もしますが、まあそんなもんじゃないですかね。そんなもんって何がってそこら辺は受け取り方に任せますけど。
どんどん何かに感化される人がドミノの様に続いて、色々な人の考えが交わるのはいい事だと思いますから、出来たらどっかで叩いて欲しいものです。何言ってんのコイツみたいな。はい、Mです。
さて、天下の大先生に酷い事を言ってしまったので、非常に申し訳ない気持ちでいっぱいです。これが「文化の違い」とか「お前が未熟なだけ」とか言われて片づけられたら赤っ恥もいいところです。
でもまあそれも単なる間違いだったって事でいいんじゃないかと思います。
それを認めるかどうかは話が別ですけど。
by tomoe-alone
| 2014-02-03 19:14
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