2014年 10月 03日
ネタバレに関する線引き |
昨日、ニコニコの生放送でレックウザのメガ進化について発表がありました。追って間もなく公式サイトにも情報が載せられましたが、正直なところ私としては、メガ進化ポケモンなどの重要な情報を出し過ぎではないかと感じています。
まあこのご時世ですから販売競争も凄いでしょうし、情報をある程度発信する事で販促の意味も大きいと思いますが、あまりに出し過ぎだと、ゲームを実際にプレイした時に驚きや感動をもたらすポイントが少なくなり、そのさじ加減は難しいと思います。今作はリメイク版ですので、昔やった世代の懐古を狙っていこうとすれば、こんな感じになるんだろうかなとも捉えています。
現代ではもうおよそ無理な願望でしょうけれども、たまには前情報の一切ない、プレイするごとに新しいものが映るようなゲームの感動の仕方もしてみたいです。
でも、情報が一切ないというのは確実に無理な話で、最低でも説明書程度は読まないと、何がどのボタンなのか、根本的に何をするゲームなのか分かりません。それに、購入した時のパッケージのデザインで何かしらの事は分かるでしょうし。
私はこう、ネタバレ(のようなもの)に対しては、割と考え込んでしまうタイプです。あまりネタバレは喰らいたくないけど、じゃあどこまではOKなのか、とか。
公式の発表なら良しとするのか、非公式情報はなるべく耳に入れたくないとか、公式でも重要な話は聞いたら興醒めするだろうとか。ラインの作り方がとても難しいです。
本についてもそう。
物語の核心に触れるような点は明かさずに、でも読者(予定層)が興味を持つような宣伝の仕方、レビューの書き方、それらはとても難しいものだと思います。書店のポップとか想像以上に難しいと思います。
物語シリーズの「続・終物語」が発売される直前に、完結記念として「MONOGATARI DROPS」というサイトがオープンしました。これまでの物語を名言で振り返る、みたいなサイトです。この中で、続・終物語の中の「きみは鏡の中に来たんだよ」という台詞を見て「これはネタバレです。こういうのやめてください」と講談社のtwitterに反応している人がいましたが、ここらへんも難しいものです。
鏡の中にきたんだよ、という事さえ知りたくない人たちがいる。でも私は、そこから想像を膨らませて、「その設定の中で何が起きるのだろうか」とワクワクしました。表紙の女の子が誰か分からないところから始まり、例の575で「僕達と、育ち続ける物語」というキーワードが出て、ああそれじゃ老倉育かと考え、老倉育が出てくるストーリーで鏡の中で、一体どんな盛り上がり方をするのだろうと、ワクワクしました。
果たしてどこの水準で歩みを進めていくのが適切なのかは、とても難しいのですが、個人的にはあまり「ネタバレ!ネタバレ!」と過敏になりすぎるのも良くないと思います。作り手側が、この情報は出した方がいい、としたものは、その判断を信じて受け入れるべきでしょう。
どの本を読もうかという時に、「あらすじ」があると便利ですし、まさかそれさえ否定してしまったら、もう目をつむって手に取った本を読むしかないでしょう。少し前から、タイトルが概ね粗筋を語りつくしてしまっている的な書物も多く、タイトルを見ることすらある意味ではネタバレでもあるのですから。
それ的じゃない書物でも、例えば「シャーロック・ホームズの冒険」だったら、ああこれはシャーロック・ホームズが出てくる話なんだという事が分かってしまいます。バレてしまいます。まあ、彼の初出は「緋色の研究」なので、そこではホームズという奴がいる事は分からなかったのですがね。それから、この一文はネタバレになるので注意ですが、例えば「桐島、部活やめるってよ」では前述のホームズの冒険みたいな事にならない、なんて例外もありますが。「舟を編む」なんかも、タイトルだけでは分からないですね。あとは刀語の4巻とか、零崎人識の人間関係・戯言遣いとの関係みたいなスタイルもありますし。ああいうの大好きなんですけど。
まあ、さすがに今のは極論だとしても、タイトルが粗筋を雄弁に物語っている的なライトノベルが流行っている、つまりそれなりに支持されているという事は、現代ではある程度情報を得た上で読む本、遊ぶゲームを選びたいという人たちが多いのだと思います。
だから私の様な極力ネタバレは避けたい派にとっては、今の情報にあふれる世界は、なかなか息苦しいそれなのだろう、なんて自分では思っていますが、果たして世界はどういう向きにどの程度の力で進んでいるのだろうかなと。
何の前情報もなしに読んだ小説なら、何冊かありますが、その中で例を1つあげるなら、湊かなえさんの「告白」ですかね。あれは人が読んでいるという話を聞いて、それについて尋ねてみたら勧められたので読んでみた、という流れでした。「この人の勧める本なら面白いに違いない」という信頼の下に、下調べもなくタイトルと作者名だけで買ったわけですけれども、果たして他のジャンルでそういうものってあるのでしょうかね。
例えば「FFシリーズだから何もまだ分からないけど買い」とか? 「脚本が虚淵だからこのアニメは絶対見る」とか? 「ファミ通の攻略本だから大丈夫!」とか?
うーん、いずれにしても、情報を極力排除しての買いには、そこに何らかの信頼がないと難しいでしょうね。
話は戻ってポケモンなのですが、まあ私にしてみれば「ポケモンなら面白さの担保はある」と考えてしまいますが、あくまでターゲットでメインになるのは、大きくない、小さなお友達。その子たちには、今回のデルタストームとか、画竜点睛とか、そういう要素って大事なんだろうなと思います。
情報を受け取る側としては、その程度の認識でいいと思いますが、ネットを通じて我々は情報発信サイドにも回る事がある訳でして。そういうものをやる人で、一度もネタバレについて考えた事がない人のレビューとかは私はあまり見たくないですね。単に「以下ネタバレがあります!」と一文添えればいいのではなく、きちんとその辺の問題について深く考えてないと。ブログでの書評だとか、ゲーム実況動画だとか、ついつい私たちは何気なく、程度のクリックでそれらを見てしまいがちです。私自身もそうである以上、受け手の方のその行動を短絡的で思考停止だと罵る事が出来る訳でもありませんし、罵るつもりもないです。逆に発する側がどれだけ気を付けるかという方が、私は大切だと思います。
ネタバレを嫌う人と構わず見る人。たばこを吸う人と吸わない人……とはちょっと違うか。でも、それと似た関係。構わない人も、「嫌う人がいる」という意識を持っていて欲しいものです。
なんか上手く話が収まらなくなってきたから、この辺でぶつ切りに終わっておきましょうかね。
まあこのご時世ですから販売競争も凄いでしょうし、情報をある程度発信する事で販促の意味も大きいと思いますが、あまりに出し過ぎだと、ゲームを実際にプレイした時に驚きや感動をもたらすポイントが少なくなり、そのさじ加減は難しいと思います。今作はリメイク版ですので、昔やった世代の懐古を狙っていこうとすれば、こんな感じになるんだろうかなとも捉えています。
現代ではもうおよそ無理な願望でしょうけれども、たまには前情報の一切ない、プレイするごとに新しいものが映るようなゲームの感動の仕方もしてみたいです。
でも、情報が一切ないというのは確実に無理な話で、最低でも説明書程度は読まないと、何がどのボタンなのか、根本的に何をするゲームなのか分かりません。それに、購入した時のパッケージのデザインで何かしらの事は分かるでしょうし。
私はこう、ネタバレ(のようなもの)に対しては、割と考え込んでしまうタイプです。あまりネタバレは喰らいたくないけど、じゃあどこまではOKなのか、とか。
公式の発表なら良しとするのか、非公式情報はなるべく耳に入れたくないとか、公式でも重要な話は聞いたら興醒めするだろうとか。ラインの作り方がとても難しいです。
本についてもそう。
物語の核心に触れるような点は明かさずに、でも読者(予定層)が興味を持つような宣伝の仕方、レビューの書き方、それらはとても難しいものだと思います。書店のポップとか想像以上に難しいと思います。
物語シリーズの「続・終物語」が発売される直前に、完結記念として「MONOGATARI DROPS」というサイトがオープンしました。これまでの物語を名言で振り返る、みたいなサイトです。この中で、続・終物語の中の「きみは鏡の中に来たんだよ」という台詞を見て「これはネタバレです。こういうのやめてください」と講談社のtwitterに反応している人がいましたが、ここらへんも難しいものです。
鏡の中にきたんだよ、という事さえ知りたくない人たちがいる。でも私は、そこから想像を膨らませて、「その設定の中で何が起きるのだろうか」とワクワクしました。表紙の女の子が誰か分からないところから始まり、例の575で「僕達と、育ち続ける物語」というキーワードが出て、ああそれじゃ老倉育かと考え、老倉育が出てくるストーリーで鏡の中で、一体どんな盛り上がり方をするのだろうと、ワクワクしました。
果たしてどこの水準で歩みを進めていくのが適切なのかは、とても難しいのですが、個人的にはあまり「ネタバレ!ネタバレ!」と過敏になりすぎるのも良くないと思います。作り手側が、この情報は出した方がいい、としたものは、その判断を信じて受け入れるべきでしょう。
どの本を読もうかという時に、「あらすじ」があると便利ですし、まさかそれさえ否定してしまったら、もう目をつむって手に取った本を読むしかないでしょう。少し前から、タイトルが概ね粗筋を語りつくしてしまっている的な書物も多く、タイトルを見ることすらある意味ではネタバレでもあるのですから。
それ的じゃない書物でも、例えば「シャーロック・ホームズの冒険」だったら、ああこれはシャーロック・ホームズが出てくる話なんだという事が分かってしまいます。バレてしまいます。まあ、彼の初出は「緋色の研究」なので、そこではホームズという奴がいる事は分からなかったのですがね。それから、この一文はネタバレになるので注意ですが、例えば「桐島、部活やめるってよ」では前述のホームズの冒険みたいな事にならない、なんて例外もありますが。「舟を編む」なんかも、タイトルだけでは分からないですね。あとは刀語の4巻とか、零崎人識の人間関係・戯言遣いとの関係みたいなスタイルもありますし。ああいうの大好きなんですけど。
まあ、さすがに今のは極論だとしても、タイトルが粗筋を雄弁に物語っている的なライトノベルが流行っている、つまりそれなりに支持されているという事は、現代ではある程度情報を得た上で読む本、遊ぶゲームを選びたいという人たちが多いのだと思います。
だから私の様な極力ネタバレは避けたい派にとっては、今の情報にあふれる世界は、なかなか息苦しいそれなのだろう、なんて自分では思っていますが、果たして世界はどういう向きにどの程度の力で進んでいるのだろうかなと。
何の前情報もなしに読んだ小説なら、何冊かありますが、その中で例を1つあげるなら、湊かなえさんの「告白」ですかね。あれは人が読んでいるという話を聞いて、それについて尋ねてみたら勧められたので読んでみた、という流れでした。「この人の勧める本なら面白いに違いない」という信頼の下に、下調べもなくタイトルと作者名だけで買ったわけですけれども、果たして他のジャンルでそういうものってあるのでしょうかね。
例えば「FFシリーズだから何もまだ分からないけど買い」とか? 「脚本が虚淵だからこのアニメは絶対見る」とか? 「ファミ通の攻略本だから大丈夫!」とか?
うーん、いずれにしても、情報を極力排除しての買いには、そこに何らかの信頼がないと難しいでしょうね。
話は戻ってポケモンなのですが、まあ私にしてみれば「ポケモンなら面白さの担保はある」と考えてしまいますが、あくまでターゲットでメインになるのは、大きくない、小さなお友達。その子たちには、今回のデルタストームとか、画竜点睛とか、そういう要素って大事なんだろうなと思います。
情報を受け取る側としては、その程度の認識でいいと思いますが、ネットを通じて我々は情報発信サイドにも回る事がある訳でして。そういうものをやる人で、一度もネタバレについて考えた事がない人のレビューとかは私はあまり見たくないですね。単に「以下ネタバレがあります!」と一文添えればいいのではなく、きちんとその辺の問題について深く考えてないと。ブログでの書評だとか、ゲーム実況動画だとか、ついつい私たちは何気なく、程度のクリックでそれらを見てしまいがちです。私自身もそうである以上、受け手の方のその行動を短絡的で思考停止だと罵る事が出来る訳でもありませんし、罵るつもりもないです。逆に発する側がどれだけ気を付けるかという方が、私は大切だと思います。
ネタバレを嫌う人と構わず見る人。たばこを吸う人と吸わない人……とはちょっと違うか。でも、それと似た関係。構わない人も、「嫌う人がいる」という意識を持っていて欲しいものです。
なんか上手く話が収まらなくなってきたから、この辺でぶつ切りに終わっておきましょうかね。
by tomoe-alone
| 2014-10-03 21:59
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