年末22時から憑物語が放送されました。
西尾信者だからとかではなく、これまで物語シリーズを追ってきて、「あとがたり」などを多く聞いてきたからでしょう。演者さんやスタッフの努力の事を思うと、これだけ幸せな気分にさせてもらっているアニメを、ながら見するなど不敬罪に値する、とかなんとか、まあ、変なテンションになって、つまりそれだけ楽しみだったって事だったんですがね、とにかく凝視しました。一言一句、寸分の光も見聞きする事を怠らないように。
あとから再視聴したり、円盤が届いてから見直すなど、もっとしっかりした思いはその時に、「ちゃんと」まとまると思うのですが、折角ライブで見ていたので、今の感想を書くべきかなと思い、編集画面を立ち上げたはいいものの、なかなか第一声が難しくて、困っております。
まあ、大きなポイントを挙げるのであれば3つ。
まず最初に、今までと形式をガラッと変えてきたなという事かな。
「白齣」で旧字体とか、今までのあの「これが物語シリーズだ」って特徴の、文字を出す場面で、字体も違えば、そもそも単色の「齣」にラディカルに書かれたアレではなかった。これは賛否あるところだと思うけれども、もし何かを変えるとしたらシーズンの節目であるココしかなかったのだと思う。難しいけど。正直、昔のあのスタイルを期待していた部分もあったので、少々残念がっている一方で、表示される文字自体は非常に読みやすくなっており、これにより、地の文や省いた台詞を丁寧に提出出来ていたとも思う。監督スタッフが大きく変わっていたという事もなかったようだし、現場が変化を選んだという事であれば、何にしてもその意図を組み上げようと努力して、その上で賛否を考えるのが「ちゃんとした」考え方だと思うので、もう少しこの件に関しては評価するのは、私は時間をかけたいと思います。
2つ目、子安。
手折正弦、子安。んー、微妙。これに関しては、私の中で勝手に原作を読んでいた時にイメージが出来てしまったのが悪いのだけれども、もう少しか細い弱々しい声が、小説・憑物語を読んでいた時には脳内には流れていた。無気力さというか、虚無感、脱力感を感じさせるキャラクタを想像していただけに、ちょっと図太いような印象だった。まあ、分かんない。2,3回見直したらしっくりくるかもしれん。このシーンに関しては、阿良々木くんの地の文の部分、独白が少なく、彼の混乱っぷりが伝わりにくかったような気がする、というマイナスな印象があって、場面全体のそのイメージに引っ張られて、子安さん単体への感情が間違っている可能性もある。正直、自分の気持ちの源泉って分からないんだよね。しかしまあ、何はともあれ受け止めて、受け入れてから、更に聞いてみたいとは思う。
3つ目はEDテーマについて。
さすがmeg rockさんの作詞だった。歌詞がすごい。最初のフレーズが「いつも通り」で始まるのが、化物語EDの「君の知らない物語」とダブって、背筋がぞくぞくした。で、詳しい歌詞は忘れたけど、いつも通りがいつまでも続くとは……みたいな内容が本編とリンクしていて、相変わらずすげぇなと。
この手法? というのかな、テクニックは、偽物語OPの「二言目」の最初が「今」という単語で始まり、それが化物語の「staple stable」と同じだった、という時に一度使われている。この時は歌い手が同じひたぎだったという事もあって、偽物語のあとがたりで、阿良々木君役の神谷さんが絶賛していた。きっと今回も意識したのだと思う。とっても上手い。このシリーズの楽曲で「作詞:meg rock」って書いてあれば、それはもう何も言わずに全部呑みこめば美味しいものだ。アニメ物語シリーズが出来るに当たって、一番の功労者は当然西尾維新なのだけれども、5本ぐらい指を折った時には絶対にmeg rockさんをカウントしていたい。するべきである。
後でじっくり聞かなきゃ。
その他のポイントを思い付いたのから適当に羅列していこうと思うけれども、音楽繋がりでOPの「オレンジミント」は、余接の歌という難題を何とかクリアした、名曲と呼ばれるかはしらないけど、物凄い力作だと思う。ただそのアレンジは少々残念だったかもと思う。毎回、クライマックスシーン~後日談というか、の辺りで、OPを編曲したインストがBGMになるのが、シリーズ定番なのだけれど、憑の後日談の中で、「やったんか」から余接が去っていくシーンのBGMにするには、あのアレンジではオレンジミントは明るすぎたと感じた。何なら、あの場面はもっと極端に寂しくて切ない系にしちゃって、妹の部屋に侵入するシーンでもう一回、明るめのインスト2を作るのもありだったと思う。
第1話のアバン、少々長めの阿良々木君の独白は、ファイナルシーズンを始めるにあたっては不可欠だったのだけれど、それにしては長めでたるむ危険性があると危惧していたのだが、余接を色々動かすことで映像的にきれいに仕上がったので、上手だと感じた。
しかし、4話全体を通してみると、特に影縫さんと阿良々木君がシリアスな話をしている場面でだけれども、演出過多であるように受け取れた場面もあった。忍と余接が雪遊びしててはシリアスな場面もコミカルになりすぎてダメだろうと。かなり重くて真剣な話なのだから、もう少し暗示するような、時折リンクするような演出が良かったと思う。
先日、憑物語はアニメになれば映えると思うと、そう言った覚えがあるが、それはこんな風に、対話シーンでの映像の自由度が上がるからという意味だった。花物語では、沼地の長い語りに、水や色彩を綺麗にあしらった背景を歩かせたり、バスケットボールの動きによる表現だったりで、いい装飾がされていた。あるいは猫物語(黒)で、猫と暦が対話している場面で、教室の中にいるはずなのに、羽川家が舞台になって画を動かし続けたのも、素晴らしいと思った。
一方で今回、影縫さんと再合流した時に、高い塔が出来ていて話の内容に合わせて崩れるなど、気が付いたのは何点かだけだが、気の利いた演出も見られた。が、忍と余接の雪遊びのシーンは、果たして話の内容と合わさっていただろうか。映像を追えば話の理解が雑になり、話を真剣に聞くには画がはしゃぎすぎで、ここと正弦のシーンが割と残念に思ったところ。
一方で、冒頭の不評だったらしい目覚まし時計の話を何とかやり過ごしたのには、涙ぐましい努力を感じる。あれぐらいでちょうどいい長さだったと思われる。しかしながら、阿吽や余接のフィギュア化の話は出たのに、「とけいもうと」の話が出なかったのは残念。酷く残念だと重ねて言うしかないが、とけいもうとの商品化は諦めるしかなさそうである。
お風呂を、文字だけど「アニメ版とは」とメタで突っ込んでいったのは評価。
あとは2/14になって、暦がひたぎにチョコを突っ込まれるシーンでは、ひたぎクラブのホッチキスの時と似たような構図が採られていて、ひたぎの成長を感じさせたり、ここまで付いてきた視聴者の昔を懐かしむ感情を突っついたりして、やられたと思うしかなかった。あとは暦の食べ方なんかも偽物語で監禁した時に似てたと思いますね。
さて、この後見かえしたり円盤を待ったりする訳ですけれども、それとは別に、「次」をどうするのだろか、という期待? 関心? はすぐに浮かんできましたね。
次は終物語の(上)。上中下でまとめて2クールという方法は採れません。暦物語があるし、中巻はあれだから。だから、上巻はおそらく上巻だけで。じゃあ、今回みたいに一挙放送か、或いは花の当初の予定のように、何かのアニメの後ろに螺子込むか。というか、(上)って言っても、おうぎフォーミュラと、そだちリドルと、そだちロストがあって、それぞれ毛色が違うけど、互いに繋がっているというややこしい事情があるのが、推測を難しくしていますよね。
そして、「それ」がいつ、どのような形で発表されるか。最速だと2月末の「悲録伝」、あるいは3月の憑の円盤のチラシ。そうでなければきっと、もう少し間が空くと思われます。分からんけどね。
何から何まで分かんないけど、どうやらファイナルシーズンは「ちゃんと」アニメになるようなので、「きちんと」情報へのアンテナを張っていこうと思います。